おかん、死んでくれてありがとう①
2020年8月12日 午後3時54分 満67歳でおかんが死にました。
死因はすい臓がんと肝臓がん。
どんな病気やケガも感謝で乗り越えてきたおかんが、ガンだけはガンの感謝に気づく前に逝ってしまったのです。
おかんは商売人だったので、頑張って7月の15日まではしんどい中、店頭に立っていました。
間が空いたらソファーで横になり、お客様が来店されれば立ち上がり・・・
あまりにもしんどそうだったので、16日から自宅で休んでくれと頼み、おかんは仕方なく自宅で休んでたんですが、一向にも良くならないので、20日に病院へ連れて行き、そこで発覚。
そこからあっという間の23日間であっちへ帰っていってしまったのです。
おかんは、2009年の10月にウェゲナー肉芽腫症という難病になりました。
その時は何日も高熱に襲われたり、嘔吐で苦しみました。
おかんは、身内が大きな病院の医療ミスで亡くなっていたので、大きな病院へ行くのを嫌がっており、何とか自力で治そうと頑張ってたんですが、もう耐えれない状態になり大きな病院へと・・・
それが金曜日に連れて行ったので検査ができず、そこから三日間、原因不明のため治療ができない状態で過ごし、相当苦しんでいる状態を目の当たりにしながら、背中を摩りながら励ます事しかできなかったことを今でも鮮明に覚えています。
そして、原因がわかり、先生に呼ばれて説明を受けに行く道中の覚悟も鮮明に覚えています。
妹と二人で話を聞きに行ったのですが・・・
歩きながら妹には「たぶん、おかんはガンって言われると思うから覚悟しとかなあかんで」と・・・
そして、説明室に入り話を聞くと「ウェゲナー肉芽腫症」と・・・
僕は当然そんな病名は知りません。
聞いた瞬間は「ガンじゃないんや!!」っていう感情が先立ち、ホッとしたのをこれもまた鮮明に覚えています。
でも!!ここからが大変で、日中は妹が付き添い、夜は僕が。
検査までの三日間は高熱と嘔吐で苦しみ、座薬を入れてもらって一旦熱は下がるんですがすぐに高熱に・・・
三日間は一晩中背中を摩った感触は今も手の中に残っています。
そして、月曜日に病名がわかったので、すぐに治療が始まり、ここからはこの病気の進行をどこまで防げるかとの闘いが始まったのです。
このウェゲナー肉芽腫症は、ひどくなれば鼻が陥没しだしたり、肺や腎臓がやられる病気で、血管炎なので手術などはできず、点滴治療しか方法はありませんでした。
パルスという三日間大量に点滴をして、とりあえず進行を抑える治療が始まったのです。
その治療が始まり7日間は苦しい状態が続き、毎日行う血液検査の結果とにらめっこ状態で。
僕は10日間夜に付き添いした中で、2回ほど「ウワッ!!死ぬんちゃうか!?」という状況に遭遇しました。
意識が遠のいていくのがわかるんです。
その度に、「おかん大丈夫や!!大丈夫や!!」と体を摩りながら・・・
おかんは、結局、腎臓を侵され、悪くなるスピードが早すぎて、たった7日間で透析の一歩手前まで・・・
先生からは、明日の血液検査の結果が悪かったら透析の準備に入りますと・・・
そこで、おかんは強い人でしたが、やっぱり想像外の事が起きて体が弱くなっているのと、透析の恐怖と感謝の狭間で心が不安定に。
でも!!やっぱりそこでも感謝を忘れないのがさすがおかんだなと・・・
その感謝の気持ちが功を奏したのか、そこで血液検査の結果が一気に良くなり、透析を免れたのです。
ですが、油断はできず、そこから3ヶ月間の点滴治療が続き、やっと正月が明けてからの退院へとなりました。
僕は、おかんが難病になったことで、少し強くなり、今までの自分と一つ区切りをつける事ができて、一気に成長させてもらいました。
この時は、怖さよりも強気の方が増しており、根拠のない自信の中で時が流れていたように思います。
その間の親父の対応にも大変でしたが・・・
おかんがいないと何もできない人ですから・・・
ここまでは「おかん、死んでくれてありがとう」のパート①です。
次回はまたパート②を勝手に書かせてもらいます( ̄ー ̄)ニヤリ
ここまで読んで頂いてありがとうございます。
感謝で始まり、感謝で終わる。そして、また感謝が生まれる。
ありがとう。
その時、その一瞬を大事に・・・
照泰仏堂 代表取締役 幡司剛成