おかん、死んでくれてありがとう③
おかんの病気も安定し出し、姪っ子の病気も受け入れれるようになり、さぁこれから!!という時にまたまた試練が・・・
今度は、会社の経営が傾きかけ・・・
今までは会社もなんとか順風満帆にやってこれたのですが、僕達には先見の明がなく、ただお客様を大事にしておけべ間違いないという考えが仇となり、今度は違う形の心の試練がやってきたのです。
2001年に社屋を建て替え、毎月の支払いが膨れ上がっていたのですが、まだ世の中の影響は受けず順調にいってたのです。
社屋を建て替えた当初はおかんも40代でしたし、今まで親父とやって来た自負があり、勢いもあったのでおかんの背中を見て、ぬるま湯に浸かりながらその船に乗ったのが24歳の僕。
おかんの病気が安定し出した2010年頃から仏壇の販売単価が下がり、不景気だった世の中との温度差に早く気付くことができず、あれよあれよと売上が減少。
その頃の僕は33歳。
親父はどっちかというと経営者ではなく、プレイヤーで会社を支えてたので、経営面に関してはほぼおかんと僕でした。
おかんがいくら元気になったからといっても、本当は弱かったおかんでしたから、不安に押しつぶされそうな日々が続き、僕もいってもまだまだ経営のことを理解をしていない状態でしたから・・・
そこで現れたのが、当初のメインバンクにいた銀行員の救世主でした!!
(現在は銀行を辞められていますが今も助けて頂いています)
その救世主のおかげで、おかんは明るくなりまた希望を見出す事ができ、病気の改善とともにやる気満々!!
ですが・・・
その救世主も移動になり、会社の応急処置はできたものの、結局は僕達の経営を根本的から改善しなければ元の木阿弥だったのです。
そこでメインバンクにまた相談。
相談はしたが、担当者がこの問題を上にあげてくれず、「無理」という一点の答えしか返ってこなかったので、他行への相談におかんと二人でしたのでした。
その光景は今でも鮮明に思い出せます。
これもおかんという存在が僕の横にいてくれたから、思い切った行動をとれたんだと思いますね。
相談に乗って頂いた担当者さんが非常に熱心な方でして、僕達の為にと動いてくれ、メインバンクを移行することになったのですが、ここで今のメインバンクに泥を塗らないといけないというやむを得ない状態となり、まだ残っていた勝気なおかんの心意気が一肌脱いでくれたのでした。
その後に親父と一緒に頭を下げ、おかんが一つの筋を作ってくれたことがかっこよかったなと・・・
やっぱり!!おかんや!!
そして、そこから私のエンジンも更にかかり、おかんイズムを継承していくのでありました。
さとし 本当に素晴らしいお母さんでしたね。お母さんのご意志を引き継ぎ、ますますのご活躍をお祈りいたします。 3年 ago
社長 幡司 剛成 さとしさん。コメントありがとうございます。 コメント頂いてたのを気づいておりませんでした。申し訳ございません。 おかんには、背中でいろいろ教わりました。それもいなくなって気づいたことです。 僕も子供達に僕がいなくなってから、気づけるような生き方をしなければと・・・ さとしさんにとって雪崩のごとく幸せが溢れますように。 3年 ago